よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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障害者差別解消法の研修を受けて

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私自身、現代社会のいち障害者として、この差別解消法には何も期待するところはないし、寧ろ、啓発、人材育成、新たな組織的枠組みの形成と、費用、時間が浪費されてしまうと危惧する。

「合理的」とは?

よく一例としてスロープが取り上げられるのだが、乗り物に乗り込む際にスロープを設置するから合理的な配慮なのであろうか。
全てのモノが直線的ではないので、小さな段差や空間が出来てしまうのは必然であるのだが、その小さなことですら自力で乗り越えることが出来ない(電動)車椅子に合理性はあるのだろうか。
また、車椅子をはじめ介護用品を取得しようとすれば、需要が低く一般化し量産しにくいのにも関わらず、幾重にも人と制度が絡むため、実物のモノに見合わない膨大な費用と時間を要すが、これには合理性の欠片もないだろう。
何が言いたいかいうと、障害者が実際に必要とするモノ(制度利用含む)自体に合理的な事柄・配慮などないのではないだろうか。
そもそものところ、人は感情を有し、事柄を個人の独り善がりな価値観、ある特定の集合体内での常識による偏見(bias)でしか捉えられないため、合理的な判断とは無縁である。

差別は悪だ。ところが、世間を見渡せば、高齢者向け、障害者専用、女性限定と当然のように溢れている。
しかし、これを人は差別ではなく合理的な区別だと言い、歓迎されるものと言うであろう。
私は、ここで、英語のdiscriminateという単語を紹介したい。
これには、一語で差別するとも区別するとも意味を併せ持つ。
差別も区別も同等だということを示しているのではないだろうか。
私個人では、こういった偏見(bias)を助長するようなくだらない帰属意識・特権意識を持たせる区別は、差別とイコールと捉えている。

とにかく、この差別問題を解決しようとするなら、押し付け、やらせるといった一方向の法案ではなく、民が自ら動くような双方向のapproachが必要であろう。
私としては、暗黙の了解ではないが、さまざまな状況下にある人が隣に居て当たり前が根付くには、幼少期+αの時期の経験が糸口となると考える。
では、その時期を過ぎた方々はどうしたらよいか。
そういった方々を含め全ての人に対し、言葉が悪いかもしれないが、社会構造をガラガラポンで初期化し人の価値観に変化を持たせようとするなら、モノのインターネット化(Internet of Things)や単純な行為そのものの機械化が必要であろうと考える。
ちなみに、そのIOT化されたモノを扱いきろうとする必要もない。
また、これはとにかく話の道が外れるが、それによって現代の労働形態は消滅し、全く新しいモノや全く新しい仕組みの発明(究極は学問)、または人付き合いによって人に作用することが仕事となる。
先に述べた通り、合理的な判断によって解決をするには、生身の人の力だけでは不可能である。
機械化、IOTにより個人の主体性が保たれ、個性も障害による内面的(personal)なものから、様々な意味で外面的(characteristic)な個性へと完全移行出来るものと考える。

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