よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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障害者支援

昔はよかった?

更新日:

昔は、現代に比べ文明が著しく劣り、社会的に抹殺されていた方々は多かったにも関わらず、「昔は良かった」と、個人的なノスタルジーに浸って仰られる方がおられる。
障害者支援団体の総会の2部で行われた、グループディスカッションにおいて、ある方が僕に「この場に昔と比べて変わったことはあるか?」と、尋ねました。
僕としては、その様なことを意識したことありません。
寧ろ、『相変わらず、社会から隔たれた異様な空間である』と、この認識は、僕の中で全く変わっていない。
出過ぎた真似かもしれないのですが、その場で正直にこのことを述べさせて頂きました。
その方が仰るには「昔は良かった」との意見が、チラホラ聞かれるからとのことでした。
なんですが、まるで僕にも“そう言ってもらおう”といったような行間に、僕としては、非常に残念でしかありませんでした。
冷静に時代を振り返ってみたならば、口が裂けてもそんな感情論は言えないはずなんです。

グループディスカッションでは、『人・街・居場所』について話し合われたのですが、それしかないと思い込んでいるだけで、居場所などはその辺の至るところにあります。
全体を見渡せば、現代の個人の生活は新技術に抵抗が無いことを前提にして、例え障害を抱えていたとしても確実に豊かなものになっていて(新制度や親切な他人によって、ややこしさは増してはいるけど)、連続した時間軸の一点だけを見て「昔は良かった」と、吐き出してしまうのでは、余りに感情的で、これからを生きる世代にとっては、それこそが『障害』になりかねないのです。
余談になりますが、非労働者層のコロニーである富山型共生施設が持ち上げられる理由としても、感動とノスタルジーといった美化が確実にあると考えています。
障害者の自律に対して余計なお世話。

※)単焦点的に内輪だけの議論であっても、「昔は良かった」は、通用しないと思います。
昔は、無いところから新しいことを始め出し、「ああでもない」「こうでもない」と、希望に満ち溢れ、その動機付けによって、何もかもが新鮮に輝いて見えていた。
それだけのこと。
なので、大して変化が無くても、この手の不満は起こっていたでしょう。
決して、時代が良かったのではないのです。
また、その言葉によって、昔を知らない世代はどう感じるのでしょうか。
新しく利用しだした方を「邪魔者」と、知らず知らずの内に排除しようとしていることに、この方々は気付いていない。
なぜか、僕が古参側に位置付けられていることにも違和感を拭えませんでした。

ノスタルジーに浸ったところで、淡々と、そして、新技術によって密度を増しながら時間は確実に進みます。
維持するにも、以前にも増しスピード感を持って新しい物事を取り込み試しながらでなくては、無理でしょう。
その時々に応じて、よりシビアな取捨選択と、よりドラスティックな対応が必要となるはずです。
それは、特定の支援団体などに固執するなら確かに苦しいし辛い。
ですが、全体を俯瞰したときに、確実に昔と比較して良いものが出来上がっていて、それは個人にも還元されているはず。
そのための技術とシステムは、揃いつつあるのが現代なんです。
とにかく、あとは自分次第です。

※単焦点
単焦点レンズ-カメラのレンズ。焦点距離を変える事が出来ないため、撮影者が動かなくてはならないレンズ。背景をぼかした写真を撮ることに長ける。

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