よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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実体験 精神分裂病(統合失調症)

『年中希死念慮』 ー最大のピンチを救ってくれたのは、同じく障害を抱えた人たちー

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まず、希死念慮とは。

きしーねんりょ[希死念慮]

死にたいと願うこと。
[補足]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。(デジタル大辞泉より抜粋)

この希死念慮の話をすると単なるかまってちゃんとなりそうなので、出来るだけ表立ってしないようにしているのだけど。
僕は、13歳~15歳の間、妄想が激しくカメラで盗撮されているという幻覚があり精神分裂病(現統合失調症)と診断されているが、これまで21歳くらいからの約14年間はなにかしらの労働に就いている。
しかし、調子は安定することはなく、その調子次第で1日の内の頻度の違いはあれど、どこかのタイミングで必ず無意識なところで「死にたい」との衝動にかられている。
ボーッとしていると自分が死ぬイメージをしていることにハッと気づく。
無意識な独り言でよく言っているのは「死にたい」。
そして、抑うつ状態低空期間は、目覚めた瞬間に自分が生きていることに絶望する。
これは20年以上続いていることなので、自分の中では当たり前のようなことでもあるのだけど。

それでもどうにかこうにか生きているけども、それは、「無意識の死にたい」と真逆の「意識的な生きたい」を、強く持つようにしているからかもしれない。
死のオプションドアを無意識のうちに開いてしてしまわないように、無理矢理にでも意識して生きることを考えるようにしている。
生きたい、生きたい、生きたい、生きたい。と。
おかげで生と死は裏表の関係でも生の行き着く先が死でもなく、死があるからこそ生が輝くのではなくて生きているからこそ輝く、生きることが絶対的だ、と、僕の価値観、思考傾向の個性となっている。
ゆうなれば、生と死は独立したお隣さん同士のような感じ(うん、わかりにくい)。
無意識下では死を求めているので、意識との矛盾が激しいのだけど。

ただ、20代はそのような面倒なことはなかった。
なんとしてでも生きるんだ、と、強い意志を意識して持つ必要はなかった。
この痛々しい感じに突入したのは30代に入ってからか。
生活に新鮮さがなくなってきていることが大きく関係しているのだろう、と、感じている。
20代の頃は、自分には“あんな事やこんな事が出来る”という発見が多くあった。
じゃあ、“これも出来るかもしれない、あれもやってみよう”と、良い流れが出来ていた。
おかげで希死念慮を退けるエネルギーを自然と得ることが出来たのだろうと、振り返ってみると思える。
それによって、20代の頃の希死念慮については、「まあ、昔から当たり前にあったし」と、深く考えるようなことは少なかった。
それが、今の30代の生活には足りない。
外部の環境に頼ることか出来なくなったので、わざわざ痛々しい内なる葛藤のような問答のようなことを日毎繰り返し、余計に疲れ果ててしまうことになったのだろう。
ひどい抑うつ状態に襲われた。
毎日、眠っても眠っても眠い。
とても睡眠が浅く少しの物音でも目が覚める。
睡眠不足を補うために昼寝をすれば、全身に脂汗をビッショリとかき、うなされて飛び起きる。
勝手に涙が出てくることもあった。
体重もみるみる落ちていき(糖質制限も同時にしていたので一概に言えないけども)、57kg(173cm)にまでになってしまった。

あまりの見た目の激変ぶりに、周りの人からは、「大丈夫?」と、よく聞かれるようになった。
だけど、“しんどいですオーラ”は出せても、「しんどいです」と、ハッキリと言葉では言えなかった(風邪によるしんどさなら簡単に言えるのだが)。
「しんどい」のあとに続くであろう“どこが、どのように”だとかの5W1Hのような説明が、とても億劫だったからだ。
場合によっては、そのしんどさを和らげる方法を考えてみよう、て、ことにもなる。
自分でもしんどいのは嫌だから、いろいろ試してやってはいる。
食べ物や習慣、1日の最後に自分をベタ褒めすることだってした。
その結果が、今のこの状態でもあることを説明するのも億劫。
一生懸命になってくれる人には悪いが、そのやり取りもただただ辛いのだ。

そして、話は一気に飛ぶが、今現在はその抑うつ状態はかなり和らいだ。
夜もよく眠れている(それでも日中の眠気はひどいが)。
体重も63~64kgで推移している。
Dr.に現状をしっかりと説明し薬を大きく変えたのがひとつの要因。
他にも、似たような経験をしてきた、精神障害当事者の方々との交流が大きく関与している。と、思う。
この似たような経験を持つ人たちとの会話の場面では背伸びをする必要がなく、自然体でいられるような気がした。
「しんどい」と、言えば「だよね」と、変な説明も要らず、なにか言葉には出来ない包み込まれるような感覚があった。
人に癒される。まさにこの感覚なのだろう。
そのおかげで、これまでギリギリだったのが少し気持ちにゆとりが生まれ、目線を前に向けることが出来たと思う。
これが、精神障害を抱えながらも労働に就く機会が増えた昨今、その方たちにもピア性を活かしたサポートが必要なのではないだろうか、との考えに至る発端になるのだけど。
ただ、ここらは“思う”とか“気がする”とか“感覚”と書いている通り、僕の個人的な感情での話なので思い込みかもしれないし、ハッキリと証明のしようがない事柄でもあるのだけど。
もちろん、障害に関係なく、サポートをしてくれている人たちの気持ちも蔑ろにしてはならない。
打っても響かないような状態の僕を見放すことなく、声を掛け続けてくれていたことには感謝しかない。

状態は上向いた。
なので、こういった億劫な説明文も書けた。
が、状態が上向いたとはいえ、希死念慮は変わらずにある。
いつでも死はお隣にいる。
ただ、今回の改めて感じた再発見もあって、今のところ気持ちに余裕はある。
僕にはやりたいこと、送りたい生活、理想が山ほどある。
無意識にお隣さんの敷地に踏み込まないよう、これからはひとつでも多く楽しみを見つけながら生きて、それらの目標を達成出来ればと思う。

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