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雑談

道徳教育

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道徳の授業を導入

小学校で2018年から道徳の授業が再開、中学校では2019年から開始される。
小学校では2018年から中学校では2019年から、道徳の授業が「特別の教科」となる。
物事の善し悪しを、初めから決め付けてかかるのではなく、『みんなで議論する』ことは、とてもいいことだと、僕は思う。

僕の小学生時代には、道徳の授業が当たり前にありました。
しかし、内容を思い返してみると、すごく押し付け的な状況でありました。
教師が教本を読み、または、生徒が順番に読み、最後に「このようなことをしてはいけない」と、教師から頭ごなしに言われ終る。
確かに、当時、子どもだった僕でも、その場ではなんとなくわかった気がする。
ですが、それっきりで終るんですよね。
大切なのは、ひとつの議題に対して、みんなで意見を出し合うことだったんでしょう。
また、それに加えて、実践し経験出来るような場も必要だったのでしょう。

HRは制裁(※晒し首)の場

ホームルームの時間では、問題を起こした生徒は、晒し者にされ、多くの生徒の前で泣かせるのが、目的のようになっていました。
確かに、最終的に悪いことをしたのは事実なので、怒られて当然なのですが、その背景にあるものや、それに至った経緯(目的)などは無視されることが多い。
なので、原因分子はその裏で、「バレなきゃやっていい」と、いった発想に落ち着くですよね。
とにかく、背景も含めた問題を、みんなで共有し話し合う場にはならないんですよね。
議論の仕方も教わらないし、手を挙げて意見を言う子がいても、当人を切り捨てる言葉しかpickupされない。
教師が、すでに自分のpositionを、固定してしまっているんですよね。
なので、変にかばうことを言えば、お前も「同罪」みたいな空気に曝される。
次第に、仲の良い友達が集中砲火を浴びていても、その時間をやり過ごすしかない、重い空気に支配される。
全員で、一人の子を責め続ける。嫌な思い出です。
しかし、僕も泣かされる側にいることが多かったので、「自業自得」と、言われればそれまでなのですが。

ひとりの人の基礎を作る場

これからの道徳の授業では、大人たちの、勝手な単一の価値観を押し付けるのではなく、それぞれの違いを認め合えるような時間になって貰えればと思います。
ですが、今の学校の状況では難しいのでしょう。
違いを認めるったって、「同じ日本人」と「同じ健常児」、「同じ年代」しか、通常の学級では出会えない。
多様な人たちが、日頃、同じ空間に居ないんですよね。
また、いじめに関しても、「同じような人たちで固まっているから起きやすい」と、いった研究報告もあります。
今後、より良い社会を作っていくためにも、学校とはどのような場であれば良いのかを、道徳教育以上に見つめ直すことも必要になってくるでしょう。
大切な時期に、最低でも9年間、長ければ12年間通う訳であります。(意識的に大学は除いています)
今の教育が、今の良くない社会を作り上げたのだったら、教育の場を見直せば良い社会も作れるのでしょう。

    ※追記 冒頭に道徳の授業の再開、開始と書きましたが、道徳の授業が再開される訳ではなく、2018年2019年から「特別の教科」となり、授業の役割や中身に変化があるようでした。訂正致します。

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