よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

障害者支援 雑談

放課後等デイサービスについて。

投稿日:

○新しい物は必ず不備がある

現在、放課後等デイサービスと言った、障害を持った子供に向けての通所施設がものすごいスピードで全国で展開されている。
私は、いまいち放課後等デイサービスの役割が理解出来ていない。
昨日、ある掲示板で放課後等デイサービス、障害児通所支援事業による、ある問題が指摘され全面禁止にする市の指導?があったとの事。
問題というのは、当該施設で、子供たちにTVゲームやパソコンをさせて「放置」しているといった内容。
それに対してある自治体が、均一に全ての電子機器を禁止し、必要ならば医師の意見書を提出する様にと。
全てなのかどうかは、書式からは私は読み取れませんでしたが、どうやら全ての様。
全てになってしまうとどうなるのかと言えば、電子機器でしかコミュニケーションが取れない様な子も居ているのは確かで、当たり前の補助具までもを禁止し、必要ならば医師の意見書をといった流れが出来る事が危惧されている。
よって全ての電子機器(補助具)を禁止すべきではないのは確かで。
当該施設は重度障害や進行性難病を患った子供たちは、支援学校等が一日終了した後や休日は行き場がなく、医療的ケアを受けながら時間を過ごす為には必要な場とも言える。
ちなみに放課後等デイサービスとは、この様な事業。

放課後や長期休暇中の障害児をサポートするサービス
学校通学中の障害児が、放課後や夏休み等の長期休暇中において、生活能力向上のための訓練等を継続的に提供することにより、学校教育と相まって障害児の自立を促進するとともに、放課後等の居場所づくりを行います。

対象者
学校教育法に規定する学校(幼稚園、大学を除く)に就学している障害のある児童
サービスの内容
学校授業終了後や休業日に生活能力の向上のために必要な訓練、社会との交流の促進など多様なメニューを設け、本人の希望を踏まえたサービスを提供します。
自立した日常生活を営むために必要な訓練
創作的活動、作業活動
地域交流の機会の提供
余暇の提供
本人が混乱しないよう学校と放課後等デイサービスのサービスの一貫性に配慮しながら学校との連携・協働による支援を行います。

(出典:
http://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/jidou/handbook/service/c078-p02-02-Jidou-08.htmlWAMNET)

障害児の学童保育所「放課後等デイサービス」 株式会社も参入、選択肢拡大(産経ニュース)
支援計画を作成しそれに沿ったプログラムを提供しなければならない。
その中で、私が注目したいのが、冒頭の「放置」といった行為。
どこまで放置していたかは、どこを調べても出て来ないので私には知り得ない事ではあるが。
この放置といった行為は、恐らくはいろんな見方で意見が分かれるのではないか。
行政、事業者、当事者家族、当事者(本人)、私の様な第三者。
利用目的や立場によっても放置の意味が変わるだろう。
行政は福祉事業としての在り方を求めるだろうし、制度を利用するなら自立支援の条件を守れというのも分かる。
事業者としては、親の介護負担を減らし、子供が社会性を持てるように教育する。または、行き場の無い子供に場所の提供か。
親としても、訓練や勉強、必要なら医療的ケアを行って貰い、安全に能力を伸ばし介護負担も減らしたいところ。ただ、預けた側はちょっとした事で放置と捉える事もありえる。
本人からしたら、友達と遊びたいだろうし、勉強もしたいだろうし、訓練もしたい子も居ているだろう。また、そもそも本人は何も求めていないかも知れないし、放置も意に介していないかも知れない。

○私が子供の頃

前記の関係者に対して1番厄介なのが私の様な第三者であろう。
関係者でもないのに自分の事に当てはめ意見をしてくる。
私の子供の頃といえば、学校が終われば校庭で友達と遊び、休日も親の目の届かないところで自由に遊んで怪我もしたものだ。
上級生にもなれば、TVゲームをずっと友達と屋内でやっていた。(おかげで今日の自分があるのかも..)
これには、教師も親も放置しているとはならないであろう。
私のそれと、障害を持った子供を預けているのとでは全く比べ物にならないが。
私の子供の頃というのは、自由に考え遊びの中で沢山の事を覚え、勉強やグループ行動の規律の様な物は学校でした。(身に付いたかは疑問だが)
対象者に”就学している”とあるので、障害を持った子供たちのは日中、支援学校に通うか普通の学校に通っていると思われる。もちろんそちらでも生活訓練の様な物は行われる。
私なんかとしては、障害を持って生まれた子供は、あっち行ってもこっち行っても”管理管理””訓練訓練”で不憫だなあと。
大怪我さえしなければ、目の届く範囲で自由に傍観に徹していても良い様にも思える。つまり「放置」という事になる。
医療が必要な子供に対して、無茶な事を言っているのは百も承知。
親が将来を案じて少しでも苦労が減ればと、訓練に取り組ませたいと思う気持ちも分かる。
しかし、先天的障害を抱えた方が訴える、リハビリといった概念は彼らにはなく、立つ、歩く、人と話す、聞くが当たり前と思うのは、健常者の勝手な価値観であり、一体どこに機能を戻すのかといった主張にも賛同出来る。
支援者側が協調性が身に付くプログラムを用意したところで、学んだり感じるのは子供である。し、子供が勝手にTVゲームをしていても、学んでいるのかも知れない。
そしてインターネットでだが、ざっと調べたところ親子によるトレーニングと身体の機能訓練には具体的に効果があったと数値化されたものはあったのだが、
一般的に当該施設で行われている訓練には具体的に効果を示したデータは発見できなかった。
客観的に見て用意した物が絶対に効果があるかは分からないのだが、制度を利用する限りは経過から結果まで干渉を受ける。
やはり、私としてはやり過ぎ感は否めない。

○いつまで経ても構造は変わらない

結局は自立を支援する制度で事業が行われているなら、制度の通りにやらなければならなのであろう。
自費で行うと自己負担額にキリが無くなる。
しかし、前記の引用にもある通り内容には余暇も含まれている。
私の最初の勝手なイメージとしては、フリースクールの様な物を描いていた。
勉強、遊び等々を、自分の好きにやるやらないを選べるような物を想像していたのだが、
どちらかと言えば、習い事か塾の様な物と考えた方がいいのかも知れない。学童保育ともちと違う。
これまでを踏まえ。
「昔は施設に丸投げ。今はとことん管理&訓練。いつの時代も障害を抱えた子供は大人たちの良いオモチャだなあ。」と、無責任な捻くれた私の最終的な感想。
とにかく、何が正解なのか私には分からないが、障害を抱えた子供にとって、何がその時々の最善になりえるのかをしっかりと考えて行きたい。

HP よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちびhttp://yoshiaki-hp.sakura.ne.jp

ad

ad

-障害者支援, 雑談

Copyright© よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.