よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

雑談

お盆をどの様に過ごしますか?

投稿日:

お世話になった方の墓参りに行きました。

8/14。日本はお盆真っ最中です。
私も例年通り墓参りには行ってきました。
私は、正月とお盆の年に2回のみですが、墓参りを行っています。正月はここ2年程前からなのですが。
正月は、新年を無事に迎えることが出来た挨拶。お盆は、とりあえず今年も無事に来れたと挨拶。こんな感じで。

とある疑問

ただ、墓参りしながらふと思うことがあって、「何故に盆に墓参りなのか?」と。
32年間生きていながら、よくよく考えればフワフワとした理由しか浮かばない。
うちは、親兄弟、父方の親戚が揃って学会員てことで、独特なお盆の風習には慣れ親しんでいないので余計にかも知れませんし、何故に今になって疑問に思いだしたのかは、今の世の中が、「死ぬことや死んだ後のことについて決めておけ」といった流れが、大きくあるからだと思います。
「尊厳死に法的根拠を」なんてものは、若い世代にとっては余計なお世話で、自由の押し付けでしかない訳ですが。
仕舞いには、このお盆の時期だからか、「死に方を考え、家族と話し合え」と言った、少々乱暴に見受ける意見も普段より多く見掛けます。単なる文章の流れの問題なのだと思いますが。
しかし、社会には影響度といったステルスマーケティングなんて物もありますから、気になってしまう訳で。それに、おそらく軽く触れる程度の話は、昔も今もしていると思います。
家族で共通した認識を持ち、動じない様にしておくことは必要と思いますが、「家族で一つのパターンに決めておけ」と、急かすのは如何なものか。

私も墓参りのきっかけとして利用しながら、この様なことを言うのもなんですが、お盆だけではなく、日常のどこかの時間で考え行動していたら、別にお盆でなくても良いような感じも受けます。
国民全員が、供養等をお盆だけで済ませている訳ではないと思いますが、ある時期に集中する事で、お坊さんが「稼ぎ時」、なんて汚い言葉で罵られるのだろうと思います。いやそれは、他にも理由があるかな。
しかし、なにぶん知識がないから、余計に不思議と感じるだけかも知れませんので、そこで今回はお盆きっかけで「お盆」について調べたいと思います。
前置きがえらい長くなりましたね。

以下、お盆について

《お盆の概要》

正式名称は「盂蘭盆会(読み:うらぼんえ)」。

先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩や追善の供養をする期間を「お盆」と呼ぶ。特に、人が亡くなって49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、家の門口や、お墓に白一色の提灯を立て、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、特に厚く供養する風習がある。現在は、関西では8月の13日から16日までの4日間を指すことが多い(関東の一部などでは7月13日から16日までの4日間を指す場合もある)。

13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎える。
期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をする。
16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまに帰ってもらう。
キュウリとナスビに割り箸を刺して馬と牛に見立てた精霊馬(しょうりょううま)を飾る地域もある。
キュウリは馬の例え
お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表現。
ナスは牛を表現
お盆が終わって、帰るときはのんびりと。

《お盆の由来》

日本では、推古天皇の14(606)年に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられている。各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによって様々だが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられている。お寺では施餓鬼供養をするが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行う。

『お盆の行事は釈迦の弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来している。
目連尊者はある時、神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知った。 そこで、どうしたら母親を救えるのか釈迦に相談したところ、「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と言われたと伝えられている。そこで、目連尊者が釈迦の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたという。それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となった。』

(出典:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AA%CB%DF)

上記の様に、気が遠くなるような、遠い昔から繋ぎ伝えられて来た風習の様です。

お盆をお盆として過ごす

当たり前のことですが、科学的な根拠などあるはずもなく、ただ日本国民、或いは仏教徒がそうと信じているからという事実であります。
その為か、各地で日程が異なったり、内容に差異があるのだと思われます。
しかし、一貫してあるのは、『亡くなった人たちが苦しむことなく成仏するように』と、報恩や追善の供養をする期間であるようです。
普段、集まって話す機会が少ないというのも分かるのですが、ついでに生きている人の死に方を考える期間ではありません。

この様に、現代では目的すらも履き違えてしまっている人も多い様に、私の目には映ります。
お盆を報告の儀としていた、私の心構えもまた正解ではない様です。勿論、感謝の気持ちはあります。
これを踏まえて、これまで通り単なる年中行事としてお盆をやり過ごすのではなく、先祖やお世話になった方へしっかりと感謝の気持ちで報う為に、お盆をどの様に過ごすのかを考え行いたいと、私は思います。

HP よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちびhttp://yoshiaki-hp.sakura.ne.jp

ad

ad

-雑談

Copyright© よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.