よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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雑談

過程を楽しめ

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「過程を楽しめ」僕の嫌いワード

最近よく「結果なんかどうでもいいから、過程を楽しめ」と、身近な人からよく言われる。

僕にはこの言葉の意味が全くわからないから嫌い。何か新しいことを始めたならば、99%が悪いという"結果"が必ず付いてくる。

例えば、初めてコマなしの自転車に乗った時、絵を書き始めた時、先ず、上手くいかない。結果はどうでもいい、出す必要がない、過程を楽しめと言うのであれば、自転車なら乗りたいと思って自転車を買い、跨った時点を楽しめと言われている訳だ。絵も同様に、画材を買い揃えたところを楽しめと言っている。やれば、必ず悪い、上手くいかないという"結果"が出るのだから。たまたま上手くいくという結果もあるにはあるけども。

また、転んで痛いのもただ痛いだけ、いい結果がでないならば、何度も挑戦しどうすればいい結果が出るのかも考えないといけないし、体が勝手に上手くいくよう覚えだすこともよくある。悪い結果を受けて、何度も何度も繰り返しやって上手くいくようになれば、楽しいという気持ちも芽生える。上手くいかないという経験を糧にさらにやり込むから、結果として振り返れば全てが楽しく感じる訳だ。

成功者の言う"結果はどうでいいは、どうでもよくない"

よく成功者の著書や動画などでも、「結果はどうでもいい」との発言がある。

が、しかし、よくよく全てを見てみると、「失敗という"結果を恐れるな"」と、言ってる。これは"どうでもいい"とは全く違う「失敗や成功をした結果を丸ごと楽しめ」と言っているのがわかる。それを都合よく「結果はどうでもいい」だけを抜き出して、インプットする人が多いのだろう。

失敗した結果を受けて、どこかを改善すれば上手くいくのか、それとも、自分には全く向いていないから別を目指そう、という、判断をする力を成功者はとても大事にしている。決して、「結果はどうでもいい」なんてことは言っていない。

失敗や成功という結果の経験を糧に、さらに高みを目指せるから楽しいと感じられる。

また、失敗という結果から、何度も何度も繰り返しやり込み、いい結果をコンスタントに出せるようになると、今度はそのいい結果も当たり前になるのだから、過程の中に組み込まれるようになる。つまり、自己を評価する軸が変化する。

だから、成功を極めた人は新しい刺激を求めて、今までとは違うことに取り組み始める。若しくは、型破りな方法など新しい方法を探すようになる。そこでまた、失敗という結果を経験し上手くいくよう模索を始める。

悪い結果でも諦めなければ失敗ではない

結果というものを大事にしなくては、振り返りも出来ないし、いつまで経ってもなにもせず同じ場で立っているだけになってしまわないだろうか。「過程のみを楽しめ」ということはそういうことになるのではないだろうか。

僕に対してよくわからないことを言うこの身近な人というのは、"結果はいいものでないといけない"との勘違いが大いにあると思う。始めだした頃は悪い結果しかほとんど出ない。それを上手くいくように持っていくために何度も繰り返し挑戦し、やっとこさいい結果を手にすことが出来る。と、いうことを履き違えているのだろうと思う。そう、悪い結果が出ても、諦めなければ失敗にはならない訳。

また、「過程を楽しんでいれば勝手に結果は付いてくる」というのも言われるが、"いい結果"が付いてくるみたいに思っているようだけども、楽しむことが目的になってはそれが義務になるし、余計と悪い結果を繰り返すだけだと思う。まあ、波長が全くと言っていい程合わない方なので、おそらくはこちらから「それってどうなの?」と、話し掛けても、互いを潰し合うだけになるだろう。それでは勿体ない。干渉せずに上手く距離を取りながら動向を見ていこうと思う。

※今回は、終始他人のdisりになりました。ご気分を害された方には申し訳ございません。

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