よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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実体験 障害者支援

概念をブっ飛ばせ

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僕は、13歳で引き籠もり、幻覚による被害的妄想が激しく15歳で精神分裂病(現統合失調症)と診断を受けました。
そして、20歳の頃、精神障害者生活支援のある支援員から言われた。
「貴方は障害を持っていて社会生活は無理だから、今後も庇護のもと障害者として生きていきなさい」と。

それがどうでしょう。
今では、働いて、家では幼少期からの夢だった愛犬との生活を送っているし、言葉の通じない海外にも一人で行くようにもなりました。
そして、自身の経験を活かしもっと自分に出来る事はないだろうか?とも、今は考えています。
あの時すんなりと、その概念で一般化された障害者象、帰属意識を煽る言葉を受け入れていたら、今の自分の生活はなかったでしょう。

ただ、やはりかなりの無理はしました。
鬱で涙が止まらない時もあったし、離人症の様な時もあった。無意識に起こる希死念慮も未だにあります。
でも、それでも努力や工夫をして続けたことで、僕を信用してくれる人も少なからず出来たし、嬉しい事に、「僕と話すと癒やさる」と、言ってくれる人までも大勢出現しています。
その場面毎の相応しい努力や工夫をすれば、それはスキルとしても身に付くし、人からの信用、そして、信頼という形で必ず返って来る。ということになります。

この世の中、時代に相応しくない身勝手な概念によって、将来の可能性を潰されている人々はまだまだ大勢いていることだと思います。
例えば、出来るかも知れない、出来る様になるかも知れないのに、障害者等の帰属意識のレッテルを貼られ、そもそもさせてもらえない方々が、まだ多いことでしょう。
そういった、感情的で自身を疑うこともせず、小さく虚ろな快楽を守るために人々は過度な干渉を行い、互いを潰し合っています。
そのため、機会の損失に伴い社会的経済的損失は計り知れません。
それを改善するために、未来への望みは持ち、その望みを叶えるために、先ずは、概念による小さな帰属意識を煽るレッテルなどを疑い、捨て、いろいろな実体験を積める環境が必要になるだろうし、自ら違う環境に溶け込む努力も必要となることでしょう。

僕は、身体の機能面はまだまだ無理でも、この身勝手な人の頭の中の概念、帰属意識のレッテル貼りを少しでもいいから薄めたいし、もっと欲を言えば無くしたいとも考えています。
そのために、先ず、何から始めればいいのだろうか、というのは、大方の目星も付けています。
今回は、詳しい内容を記しませんが、いずれ書ければいいと思います。
ともかく、まだまだいろいろな環境に飛び込み経験を積まなくてはならないし、沢山の人と出会い会話をしなくてはならないのは確かです。

沢山の人々から与えられた『癒やし系』という"称号"を胸に。

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