よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

読書感想文

『これならわかるよ!経済思想史』坪井 賢一(感想文)

投稿日:

    いつも感想文の出来損ないを綴っているのですが、今回はいつにも増して書き辛い。
    章立て毎に超短縮主観あらすじと一言感想みたいにしようと思う。
    ....いつも通りか( ̄ω ̄;)!!
    昔から多少は興味があったんだけど、今さら大学に行くのも時間と労力の無駄な気もするし、そもそも高校すら出てない訳で、基礎学力がない条件下で行ける様な大学でしっかりと学べるかも分からない。
    そんなこんなな日々で本書を読もうと思ったきっかけは、facebookで頭が良い人たちが入門書としておススメしていたので、これなら僕にでも読めるかもと思ったのです。

経済学とは人間を研究する学問である。

(1)3つの経済思想と3つの政治思想

先ずはじめに、現在の日本はどのような経済政策を取っているかと言ったら、
ミルトン・フリードマン主導の「マネタリズム」と、ジョン・メイナード・ケインズの「ケインズ政策」が同時に行われている。
しかし、実はこの二つの経済政策は、相反する内容ということ。
それは、なにを意味しているのかと考えると、通貨を増やして限定的に垂れ流す「未熟な官民の馴れ合った結果」と、僕なりの所見。親方(米国)の顔色も窺わなければならないし。
そして、経済学部なるものが大学の学部として登場したのは、今から約100年前で、思想そのもがハッキリとされ出したのも約250年前と、かなり新しい学問になります。
その経済思想、大きく分けて3つに分類する事が出来る。

1.古典・新古典派経済学→自由主義,新自由主義,保守主義(※右派)(※資本主義に対して)

2.ケインズ経済学→リベラリズム(中道)

3.マルクス経済学→社会民主主義(左派)

と、まあこんな感じで、時代背景と共に3種を使い分け、時には今のように混ぜ合わせ。
その時々に応じた政策を取って来ていると、この章では解説されている。

(2)古典派経済学

代表格アダム・スミス(1723-90)

政府の市場介入こそ有害とし、自由放任が人々の生活を豊かにするといった経済観が主だっている。
労働価値説を唱え、物やサービスの価値は労働量で決まるとした。
また、「見えざる手」と、言った有名な言葉がある。
とにかく、放っておけば市場は長期的に安定し、人は幸せになれるとしたのだけども、
人というのは現代においても、とても未熟であり、そのうち欲望に支配されてしまうもんだから、すぐに行き詰ってしまう。
力を蓄えた者は弱い者を従えようとし、自分の思うように舵を切り暴走も目立つ。

(3)マルクス経済学

カール・マルクス(1818-83)

古典派は、いわゆる小さな政府で自由な活動により平和な繁栄をを目指していたが、裏腹に時代は国家による植民地争奪の戦火が広がる。
軍事費増大。貧富の差が拡大し、格差是正の為に財政危機が進み、益々大きな政府が誕生していった。
マルクスは、格差から不満を爆発させた労働者が決起し、資本家の富を没収、労働者の政府による国有化が起こる事で、資本主義はいずれ崩壊し社会主義へと進化すると予言予測。
ブルジョワ(富裕層)階級が支配するよりも、プロレタリア(労働者)階級、共産党で独裁した方が、世の中平和に行くとしたのだけども、計画経済等々、今度は自由な活動が利かなくなり長くは続かなかった。
プロレタリア階級も間違いを犯す未熟な人に違いはない。入れ替わったところで、人は人といったところかな?
今では、資本主義を維持、温存する一つの政策でしかない。

(4)新古典派経済学

代表格アルフレッド・マーシャル(1842-1924)

古典派は労働量(供給側)で物の価値が決まると訴えたのに対し、新古典派は物の価値は買う側(需要側)の欲望(幸福)度合いで変わると訴えた。(効用価値説)
最初は喉から手が出るほどに欲し、手にした瞬間は幸福度も高いが、人はいつかは飽きると言ったところでしょうか?また、同じ物を複数は要らないですからね。ちなみに、これが限界効用ってことになるのかな。
また、この世代から経済学に数学を取り入れ、積極的な需給均衝値(見えざる手)の可視化が行われた。(ミクロ経済)
数理経済学により見えざる手が可視化されるが、前提として人は合理的な判断が出来るといった点から分析がなされている。
自分にとって本当に必要な物なのかが、しっかりと判断が出来る人なんて今の世の中でも一握りだけ。
まして、ウソの情報をウソとズバッと見抜ける様な人なんて居てるはずもなく、情報に偏りが出来てしまうのも必然的。
しかし、こうして完全競争市場モデルが確立され理想を持つ事で、さらにその先へと歩を進める事が出来た。

(5)ケインズ経済学

ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)

満を持して登場!経済学における私的ツインタワーの一人!人類史における恐ろしい程の天才!
ケインズは、これまでのマルクス経済学と新古典派経済学、双方とも否定し、一国全体を俯瞰するマクロ経済学を確立。
市場に積極的な政府介入(公共投資)を行い需要を創り出す。(政府支出)
また、貨幣の供給量を増やし利子率を下げることで、消費者や企業の貯蓄分を支出に導く理論を提唱する。
消費者が消費に回す支出比率を高めることで乗数効果が広がり、最終的に国民所得が増え経済も活性化するとした。
しかし、政府支出による乗数効果も、先進国になればなるほどに効果が小さく、リターンが期待できなくなる。
よって、財政の債務残高は、中々減らない。
この様な先進国で起こった事は、スタグフレーションといった、いわゆる停滞期。
スタグフレーションに有効な解決法を示せなかったので、今度は新古典派のマネタリズムが台頭して来た。
とにかく、先進国をこれ以上開発したところで、上記の新古典派が訴える様に国民の幸福度は上がりにくくなる訳だから、財布の紐は固く結ばれるようになる。
支出を増やす必要を訴えるには、時代に応じた新たな動機付けを考えなければならない気がします。そのお金で一体何が出来るのかを、具体的に提示していかなくてはならないのではないでしょうか。
また、ケインズ政策の理論の危うさは、誰にでも分かりやすいように、とてもシンプルに作られている事。
加えて、利益誘導にお墨付きを与えている訳だから、扱う者の品性が養われていなければ、人々のオモチャと化してしまうだろうね。
現代の人も合理的な判断が出来ないのだから。

(6)マネタリズム

ミルトン・フリードマン(1912-2006)

政府の財政政策は不要とし、裁量的な金融政策も無駄と主張し、中央銀行による通貨供給量(マネーサプライ)の伸び率を制御するだけで良いとした。
この経済政策を当時の英国の首相サッチャーが取り入れる。(マネタリズム)
マネタリズムの内容で最も注目すべき点は、社会保障を民間でやるといったところ。とことん政治の影響を国民の生活に反映しない様にした。
この部分はとても重要に思える。
社会保障を国家で行わないとするマネタリズムにおいて、日本は先日、社会保障の為にと消費税増税が行われた。
そして、ケインズ政策。何とも歪な組み合わせなのだろうか。
要は、現在の日本は、一握りの選ばれしエリート達の独壇場になっているといったところであろうと推測。
しかし、本来ならマネタリズムにおいての政府の役割は、中立な市場のルール作りと公平な審判役を行わなければならないと、フリードマンは主張している。
やはり、こちらも人は合理的で間違いを犯さないといった観点から、描かれている。

(7)21世紀の経済学

より複雑な研究により現実的な物へと進化。
ニュー・ケイジアン、ゲーム理論、経済学としてのリバタリアニズムなど。
人の合理性には限界がある前提で、主張や研究がされる。
ゲーム理論は経営学にも広がった。
介護や福祉の業界も、ナッシュ均衝などを知識として持っておくと損はないと思う。
如何にして生き残って行くか、あらゆる知恵を先人たちの経験も借り、絞り出さないとならないだろう。
先ずは何が何でも継続させなければ、事業を立ち上げただけではスタートラインにも立てていないのです。

最後に

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(1899-1992)

私的経済学ツインタワーのもう一人。異論は認めます。あくまで個人的に好きなもんですから。
本書には第6項から第7項に跨り記述されている。
ハイエクは急進的自由主義者で、全体主義,集産主義,ファシズム,ナチズム,社会主義,社会民主主義,ケインズ主義も否定。
ハイエク経済学思想のポイント。

1.ハイエクの急進的自由主義をリバタリアニズムという。語源はリバティで、リベラリズム(ケインズ主義)や新自由主義(ネオ・リベラリズム)と区別するために、日本ではカタカナでリバタリアニズムと表記する。

2.反合理主義。基本的には合理的でない人間が合理的に経済を計画することはできない。

3.反均衝論。市場の調整には時間がかかる。

4.完全競争市場の否定。完全な情報はありえない。情報や知識は偏在する。

5.経済システムは自生的秩序によって形成される。
(本書より引用。)

ハイエクもフリードマン同様に、政府は政府にしか出来ない仕事を全うするよう訴えている。市場の監視役に加えて、最低限の社会保障、国民の命を守るために国家は必要と主張している。
先進国においては、もっと個人が力を付けなければならないと思います。もう、便利な物で溢れかえっているので、次は人が成長しなければいけないのではないでしょうか。
永続的に幸福であり続ける為には、自身はどの様に行動しなければならないのか、自身の役割や仕事は何なのか、また、それを全うするにはどうすればいいのかを、もっともっと考え悩まなければならないのだと思います。
その為には、正しい情報を手にしなければならないし、データマイニングの能力も必要になって来る。
自分の好きな国、地域、文化、人などを守ろうとするには、どのような経済活動が必要なのかを、一人ひとりが描いていかなくてはならないのだろうと、私は近頃よく考えています。

追記:ハイエクは、合理的な判断が出来ないのであれば、同じ失敗を繰り返さないように経験から学べといった事も訴えている。
知ったように色んなものの良いとこ取りをしようとするのではなく、経験から新たなものを産み出していかなくてはいけないのでしょう。
沢山の本を読み、人の話を聞き、そして積極的に行動して、自身も直接経験するといった事が、人には必要なのだろうと思います。

これならわかるよ!経済思想史

HP よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちびhttp://yoshiaki-hp.sakura.ne.jp

ad

ad

-読書感想文

Copyright© よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.