よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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幼・老・障、共生施設(富山型デイ)といった甘い罠

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施設内を充実させるのは、余計なお世話

まず最初に、最終的に地域での生活を、弾かれることなく共に過ごすということを考える際は、「高齢者」はとか「障害者」はと分け隔てる必要はないと考えています。

共生施設の危うさ

しかし、介護が必要な障害者と高齢者と子供が、同じ富山型共生施設で一日を過ごすといった危険性。
第一に制度の統合。次に事業の独占。
そして、子供に優しさが身につくという幻想。6歳までしかいないのだ。そもそも、優しさって誰に対してのなのか。
小学校に進級すれば自然と周りは健常者のみとなり、意識として残るのは施設に介護が必要な人が居るになるのだろう。
施設に行かなきゃ、その優しさを発揮できないのならそれってどうなの?
健常者が、ボランティアとして多数在籍と売り文句にもあるが、なぜ施設内でやるのか。
また、施設通所=外出じゃないからね。
対象者は『幼・老・障』と幅広く。
右端から左端までの人を施設に招き入れ、エセ地域社会を作り上げ一体なにがしたのか。
ただし、これも『施設内やその周辺で生活を完了させる』だけを考えるなら、案外それなりのものが出来上がるのだろうと思う。
しかし、施設は入所にしろ通所にしろ、例えば物を売りたい時にワザワザ全国に無作為に宣伝をしなくても、そこに沢山の人が集まって一日を過ごす訳ですから、押し付けることも可能なんですよ。
「介護が必要」と共通項を持った多世代が集まる訳だから、食事だったり用品、医療だったりをさばくには最適であるし、全てお任せしてたら知らん間に押し付けられてることが、実際病院等でもあります。
サービスの質の低下は独占により起こります。
広く定着するなら介護業界の縮小もあり得るでしょう。
この形態を定着させるのは危険だと感じます。

また、そこに通所することが「善」に流され、多くの方が日中に共生施設に通所しだせば、思い思いに買い物や外出する機会が減る訳で。
街頭から障害者や要介護高齢者がいなくなり、本人が自分の目で見て買い物をするってことも減るのでしょう。
僕としては、そんな施設なんていらないから、ガイドヘルパーの待遇を良くし拡充させろと。
とにかく、好きに外に出してくれ!!

制度は不自由を生む

支援制度の統合は絶対に行ってはならない。
長年健常者として生きて来た方と、先天性や中途障害を早くに負った方とでは、性質が全くもって違う。
日本国内でも尊厳死の法制化をと声が根強いが、散々、生活を満喫した人がそんなことを言う。
中には障害者が訴えている姿も然るが、開いた口が塞がらない。ドイツの歴史から学べ。頼むから。
障害や、難病を負ったらそんなにお荷物なのか?
(法)制度として設けることにより、「死ぬ自由」が、約束されるなどと訴えるのは、やはりおかしい。
(法)制度というのは、全ての国民から自由を一つ、問答無用で奪うものであるはずだ。
生きる為の支援制度でも、沢山の理不尽な不自由の中に存在している訳です。
そして、一緒に施設内で生活するということは、二つの制度が存在しているということ。
事務も二種類のことをこなすことになる。
面倒臭いと言い出すのも時間の問題であろう。
なぜ、制度が分かれているかといった、背景を知り得ない人間が多い。

子供の生活、教育環境を変える

子供は6歳になり小学校に通うと、周りに介護が必要な人たちはほぼ居なくなる。
少し話はズレるが、発達障害を負った子共でも、(学校に通える子は)知的障害を伴わないだろうし、(それでも)現代の公教育では、しばらくすれば脱落してしまう子が多い。
大勢の集団の生活に付いて行けない。
教師も知識がないし、圧倒的に人が足りない。
施設内やその周辺だけでの多様性では、誤解しか招かないだろう。
施設や支援学校にしか、介護が必要な人たちがいないのだから。
子供の生活、教育環境にお金を掛けるべきだ。
学校に専門家や看護師を配置し、一クラス少人数制。
常に、『同級生』として、長ければ22歳かそこらまで一緒の時間を過ごす。
当たり前に過ごすことで、尚のこと「施設が当たり前」でなく「施設に行くのはなぜ?」と疑問を持つだろう。
実際に僕の傍に、ほぼそれに近い状態で過ごしてきた友人がいて、「なにがダメなのか。差別や区別が生まれる理由が分からない。」と言う。人種差別も含め。
機会をさらに増やせば、こういった人も、もっと増えるのではないだろうか。
普通に町中でも接することが可能になってくるだろう。
混ぜこぜ状態が当たり前なのだから。
施設にお客として一定時期、迎えるのではなく、こういったところを是非とも考えてみて欲しい。
通所することが目的になってはおかしいし、制度利用なら仕事でもないのに迎えに来るから、急に休みたくなっても引っ張り出される。
共生施設では、単なる囲い込みであり、事が解決されるどころか将来的により混乱を招く。

HPに「死ぬまで面倒みます」だって。なんだそれ。いい迷惑だ。
ふつうの日常生活とあるが、介護が必要な他人同士と子供とその他の他人が、「一つ屋根の下に集まる」のどこが普通の日常生活なんだよ。
大人しく、自分たちの許容範囲だけでやってくれてればいいのに。
どの様な状況になっても、各々が好きな時に行きたい場所に行けることを考えましょう!!

追記:一つ屋根の下、昔の大家族『みたい』では、先に進まないと考えます。子供騙しです。
※本文()内は追記

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