確実に時間は流れている
WWⅡ直前の雰囲気に似て来たとの発言が目立つ。
当時は、今のように、末端の人までが海外のモノに囲まれた生活をしていたのでしょうか。
当時は、今のように、インターネットやスマホが当たり前の生活だったのでしょうか。
当時は、今のように、大学進学率が50%もあったのでしょうか。
当時は、今のように、障害者に選挙権が当たり前にあったのでしょうか。
当時は、今のように、原子力の恐ろしさを理解しつつ生活に応用していたのでしょうか。
当時は、今のように、、、
僕は、当時の雰囲気なんてものは、知る由もありませんが、時間は確実に流れ私たちの生活の土台は変化し、昔と雰囲気は似ても似つかないはず。
なのに、『似ている』と思うのは、なぜなのでしょうか。
確かに、まだまだ改善していかなくてはならないところ、もっともっと良くなるものは沢山ありますよ。
僕は、悪い意味での「昔に似て来た。」だとか、良い意味での「昔のように。」といった言葉は、結局は知ったつもりで高いところから人々を見下ろし、ハナっから現代を生きる人を受け入れようともせず、小馬鹿にしているようにしか聞こえないのです。
そう言う人に限って、『必ず時間は流れ姿形は変わる』といった原理が抜け落ちていて、そうであって欲しいとの願望と、人知れず自分たちの生活が良くなるようにと耐え積み重ねて来た、いち民間の人たちを、ミクロな活動の部分を、頭ごなしに否定している。
で、こういう人ほど右の方々と一緒で、国家の理想像を大切にするように見受けるのだけども、いつまでその国家という幻想を抱き続けるつもりなのか。