よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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精神分裂病(統合失調症)

精神分裂病を負った経緯(1)

更新日:

ちょっと暇もネタもないので自身のHPから転載。

はじめに。

自らの経験を語る事で、現在、障害に悩んでいる方や支援を行っている方に、少しでも役に立てればと思います。
て、言うのは建前でただ単に自分語りがしたいだけですm(_ _)m

夜逃げと親の自己破産

父は松下電器の下請けの小さな工場を営んでいました。
小さな規模ですが、それまでのバブル景気もありかなり良い業績を残していたらしいので、周りからは裕福な家庭と見られていたんではないかと思います。
ただ、父は稼ぎを家庭に入れず全て自分で使っていたので、さほど恩恵を受けた記憶は私にはありません。
それでも、小学校までは友達も多い方だったので楽しい子供時代を送っていました。

しかし、少し流れが変わってきたのが11歳の時。
父が借金の連帯保証人をしていた知人が返済をせず逃走。
てことで、保証人である父に返済義務が回って来ました。
負債額は確か1億円位だったと思います。
当時は先進国の日本と言えど、暴力団や闇金業者が大見得切って街を闊歩する時代。
自宅の周りを大勢の取り立て屋が囲みました。家の電話は鳴りっぱなし。

そんな事がしばらく続いたある日、父が取り立て屋に拘束されたとの連絡があり、それを機にまず母が家を出て、しばらくして私と長女で家を出ました。
私には2人の姉が居てるのですが、当時一人暮らしをしていた次女の部屋に母と私はひとまず身を隠しました。
かくして次女の部屋で軟禁生活が始まった訳ですが、11歳の子供ですので、今後どうなるのか、いつまで軟禁状態が続くのか知る由もなく、ただただ時間だけが過ぎていきました。
生活の中身は、「寝て」「起きて」「食べて」「テレビを見て」「ゲームをして」の繰り返し、軟禁生活ですから。
ただ後半の方になってくると、どういう訳か「外に出て走ってこい」とよく言われてたのですが、今思えば破産手続きも目処が立ち脅威も去ったからだったのでしょう。
一方で、拘束された父は、どこかのサービスエリアで車が止まった時に、隙を見て逃げ出すというハリウッド映画バリの事をして難を逃れたとの事でした。
破産手続きも終わり、ようやく家族全員が家に帰る事ができたのは、夜逃げ生活が始まったおよそ一カ月後。私はまた以前の生活に戻ると心底安心しました。

...続く

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腫れ物に触れるような感覚でなく、気軽に既読といった感じでよろしくお願い致しますm(_ _)m
特に、自身の実体験の内容は、精神分裂病を抱えても、「皆さんの想像する一つの形だけではないですよ。」と、いったことが私を通じて少しでも人に伝わればと思います(^-^)
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制度とか、社会的な主観の内容は、的外れもあると思いますので、共感して頂けたらいいね!をして下さればと思います(^-^)

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