よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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精神分裂病(統合失調症)

精神分裂病を負った経緯(3)

更新日:

沢山の方が、本ブログを訪れて下さり、facebookでのいいね!や共有をして下さいました。
本当にありがとうございます。
この、文章は数カ月前に自身のホームページにて公開させて頂いたのですが、
とても稚拙な文章で読み返すと恥ずかしいですね。アイタタ、、(ノω=;)。。。
とりあえず、句読点の余りにも変な箇所のみ手を加えています。以下、私個人HPから転載。

精神科受診・精神分裂病と診断

そんな生活がハッキリと覚えていないのですが一年位を経過したある日、私は父に対して怒りを爆発させました。
「なぜ、自分がこんなに苦しんでいるのに、あんたは何事もなかった様な振る舞いなのか。」
この時ばかりは周りの目を気にせずに暴れましたね。
この一件を境に母親は離婚を決意し、母親との二人生活が始まりました。

すると、ある変化が私にありました。
今まで襖で閉ざしていた部屋を開放するようになった。少し、前進しました。
私が暴れ父を追い出した事で、私自身が自ら行動する事で何かしらの変化を得れると体現した瞬間だったのでしょう。
しかし、依然、妄想は継続中で、みんなに監視されているとの状況には変わりがありませんでした。

中学生活も三年目。
言い換えれば、ひきこもり生活も一年半。
大きな転換期を迎える年となった。
それは、担任に就いた教師がとても熱心な方だった。決して今までの担任が悪かった訳ではない。この先生の熱意が常識の範疇を超えていた。
月に一回、休みの日に私と一年生の頃に仲の良かった友人二人を誘い、いろんなところに連れ立ててくれた。
それ以外にも、足繁く私の顔を見に訪ねてくれました。
今思えば良い経験をさせて貰っていたのだと思います。
その後、自らの意思で精神科に通院し相談したいと思うようになったのです。
いろんな経験をさせてもらった事で、このままでは同級生に追い付けず、私だけが取り残されてしまうと感じたからです。
「なんとかして自分自身を変えないと。」との思いに駆られた時には、少しは病的な被害妄想も和らいでいました。

そして、精神科病院を受診する事になる。
実は初診時、一緒に付いて来てくれたのも担任の先生でした。
ホント、この先生には感謝してもしきれない程、沢山の事をして貰いました。
この日、精神科の医師に、妄想、監視されている事、これまでの事を洗いざらいを打ち明けました。
そして、精神分裂病と正式に診断がなされました。向精神薬も処方され、睡眠導入剤を含め一日四回で計40錠以上が処方されました。
今思うと恐ろしい量を服用していた。

中学校卒業と入院

薬を服用し始めてからは、多少は外に出れるようになりましたが、相変わらず生活リズムは狂ったまま。
睡眠導入剤を服用しているので寝始めると12時間以上起きません。
それでもまあなんとか、修学旅行に参加することが出来ました。
母親はこの出来事に涙が溢れたそうです。
全然、家から出なかった息子が同級生の中に交じって一泊二日で出て行ったのですから、無理もないでしょう。
修学旅行で更に、外に出るきっかけが出来たかというと、実はそうでもなく、帰ってからまたひきこもりました。
人混みに入るとやはり被害妄想が出てきて増幅していくのです。
卒業式も出席してたような記憶がぼんやりとあるんですが、ハッキリと覚えていなく、とりあえず卒業した事実は確かって具合です。

そして、卒業してから。
すみません。ここの記憶もハッキリとしませんが、一年を経過してからでしたでしょうか、たしか16歳で精神科病院に入院したと思います。
理由は、更にもう一段、自分の状態が良くなる事を願い、自ら母親に懇願し実現させました。
無理矢理にでも家の外に出る様に仕向けたかったのです。

...続く

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腫れ物に触れるような感覚でなく、気軽に既読といった感じでよろしくお願い致しますm(_ _)m
特に、自身の実体験の内容は、精神分裂病を抱えても、「皆さんの想像する一つの形だけではないですよ。」と、いったことが私を通じて少しでも人に伝わればと思います(^-^)
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制度とか、社会的な主観の内容は、的外れもあると思いますので、共感して頂けたらいいね!をして下さればと思います(^-^)

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