よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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富山型デイサービスにみる共生施設とは。

更新日:

近頃、富山型デイサービス、高齢者・障害者・子供・健常者(介護職員含む)をひっくるめた共生施設が、再び注目されている。
政府が社会保障費圧縮、人手不足の解消を富山型に見いだしたからです。
しばらく、話題に上がらなかったのに、まさか政府と結託してくるとは。
私は、この寄せ集め方式が当たり前になる事に危機感を抱いています。
これこそが、本当の共存だの共生だのという声もあり、
非常に悲しく思います。

私のような若手障害者は当たり前のように地域で生活を送れています。
その時点で共存・共生っていうのは成立していると考えます。
ただ、私がこの様に生活を送れているのは、30、40年前には考えられない事でした。
今の様な基盤を築き上げてこられた方々は、施設に送られるか、家から出して貰えない状況だったと聞いています。
当時の方々は施設や家庭での(間違った)共生を強制押し付けられて来た訳ですね。
しかし、この状態に異を唱え”自律”する事を選ばれたんです。自分達も生きた人間なんだと。人として当たり前の生活をするんだと。
(押し付けの)共生から”自律”、自己責任・自己決定による自由を選び築き上げてきたのに、なぜ今になって時代を逆行するような事をしなければならないのでしょうか。
散々、それが障害者であるあなたの為と、健常者から見た価値観を押し付けられて来た事から、やっとのことで脱したというのに。
しかし、これが計画経済である世の中、政府が推進すると言ったら一気に広まり、当たり前の状況を作ります。
それが当たり前の状況になると、次はわざわざ(古い間違えた)共生(を)した方が良いのだと意識付けられてしまうでしょう。
すでに、(本当のところの)共存・共生が出来実現しかけているのに。

そして、効率が良い集団を対象としてのケアだかなんだ知りませんがそんな対応について、
障害者は本当に不遇で嫌な思いをずっと抱えて来た。
3障害が併合された障害者自立支援法が施行された際に危惧された事は、
ニーズの全く違う方々をいっしょくたにしてしまう事で、
ケアの平均化を行うか、一番弱い立場に置かれた人か、一番主張の強い集団に合わせないといけなくなるという事。
結局は、3障害、複合的な取り組みは行われなかったのです、私の知っている限りほぼないのです。
あったとしても、たまたま重複して障害を抱えてしまった方が居るぐらいです。
ただでさえ、集団により個が打ち消された状態であるにも関わらず、
加えて集団の幅を広げた内容に対し現場が良しとしなっかたのです。

この富山型デイサービスにあるように、
高齢者・障害者・子供・健常者(介護職員含む)をひっくるめて面倒を見ようってのは、
一体、誰の為の物なんでしょうか。
やはり、自分勝手にこれが良いと考える、健常者文明の押し付けなんですよ。
障害者にとっては、共生相手を取り換えただけの、
また振り出しに戻される事なんです。
御存知でしょうか、障害は社会によって作られる方が大きい事を。

個別ケアを実践できる物としては、個人を対象としている訪問しかないでしょう。
あとは、高齢者の身体機能の向上を積極的に取り組んでいる事業団体。
身体機能を向上する事で、自分で考え、行動する事に繋がるのですね。
結果として、個の主体性は損なわれない。

ただし、ここからは現実問題としての話し。
現状では、こう言った集団を対象として行う事に頼らざるを得ません。
一人に対して一人のヘルパーが付く事が実際のところ無茶ですからね。
(しかし、介護施設の類いがすべてなくなり訪問しかないとなったら、
単純に牌は増えますね)
ですが、本来なら普通じゃないとしっかりと肝に銘じておかなければならないでしょう。
仕事の場でもない、通所介護施設。
なぜ強制させられなければならないのでしょうか。
なぜ寄せ集められなければならないのでしょうか。

将来は、介護職などという職なんてものすら無くなった世界を、
私は強く望み、是非、死ぬ前に見てみたいものです。

HP http://yoshiaki-hp.sakura.ne.jp/

追記:「介護施設の類いがすべてなくなり訪問しかないとなったら、単純に牌は増えますね」と記述しましたが、利用者さんも増えちゃいますね。血迷った事を失礼しました。
()内追記

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