よーしあーきーと時々ラテとはろ&ちび

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精神分裂病(統合失調症)

精神分裂病を負った経緯(8)

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《 真の黒歴史へ 》

ご訪問ありがとうございます。
改めて文章を読み返すとタイトルのつけ方ひとつ取っても、幼稚だなあと。
なんか無意味に落ち込みます。

現実に打ちのめされる

同級生A君にアルバイトを紹介して貰い、コンビニの夜勤で働きだしました。
しかし、私は舐めていた。普通に暮らして来たA君が出来るのだから、苦労してここまで来た自分に出来ないハズがないと。全く根拠のない妄想に取りつかれていた。
程なくして、当然の如く付いて行けない自分にぶつかりました。ですが、認められない。ありとあらゆる事を人のせいにしました。

「みんなが私に理解がないからこんな事になる。」

こんな事を当時のA君に話していたら、ブッ飛ばされていた事でしょう。
3ヶ月程だったでしょうか続いたのは。厳密に言ったらもっと短かったと思います。病欠という名のズル休みをする様になりましたから。
おかげでA君がケツを拭くハメになったのですが、「自分は精神障害を抱えて生きているのだからしんどい。」と、開き直っていました。
最終的には、「胃の調子が悪く食事が取れなくなった」と、事実に多少”盛り”を加えて辞めました。

この時に、現在も付き合いのある同級生B君と再会しましたが、その後も横柄な態度をA君に加えてB君にも取っていた。A君は今でも時々連絡をくれます。
ごめんなさい。本当に。私は今すぐ地獄に落ちるべき人間です。

現実に打ちのめされ続ける

そんな私も20歳を過ぎていた。陽だまりにもまた少しずつだが顔を出した。
そんなある日、陽だまりの施設長から「新しいグループホームが出来るから、そこに入居し一人で生活をしてみないか」と打診される。
あまり家に帰っていない事もあり、心配をして頂いていたのかなと思う。推測ですが。なので、目の届くグループホームを勧めて下さったのかも知れない。
生活費は生活保護と(※)障害者基礎年金。
20や21で生活保護を支給されるという事は、今後どのように転ぼうが、
「社会復帰の望みは無い」
といった事を意味していたのだと思う。
このまま、社会から弾き出されて生きて行くのが、この時の私としては良いのだろうと、保護を受けグループホームに入居する事を決意する。

一人暮らしが始まったとはいえ、実家も近く、陽だまりと実家と自宅をウロウロしていた。
K氏のこの時は、確か奈良におらず兄弟の居る他府県に、一時的に親戚の問題で行っていたと思う。
ダラダラと特にやりたい事もなく過ぎて行く日々。

そんな中、同級生たちは就職活動の最中。カッコイイスーツに身を包み就活に奮闘していた。
このまま、他のみんなは就職をし家庭を持ち、充実した人生を送るのだろう。
「また差が付くな。」「もう、どう頑張っても追い付けやしない。」
このまま、社会の隅っこで生きて行くのが自分。「なるようになれ」と、完全に投げ出した瞬間でもあった。
※ちなみに現在では、「障害者基礎年金の支給が止まるまで働いて稼いでやる」が、モチベーションになっています。

…つづく

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特に、自身の実体験の内容は、精神分裂病を抱えても、「皆さんの想像する一つの形だけではないですよ。」と、いったことが私を通じて少しでも人に伝わればと思います(^-^)
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制度とか、社会的な主観の内容は、的外れもあると思いますので、共感して頂けたらいいね!をして下さればと思います(^-^)

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